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小野照崎神社

小野篁を主祭神とし、相殿に菅原道真を祀る。
852年(仁寿2年)この地の住民が上野照崎の
地に小野篁を奉斎したのが起源と伝わる。
寛永年間(1624年-1643年)、寛永寺の建立
の建立のため幕府より移転を命じられ、現社
地に遷座した。

江戸末期、回向院より菅原道真自刻と伝わる
像を迎えて相殿に祀り、江戸二十五天神」
の一つに数えられた。

樋口一葉の「たけくらべ」に「小野照さま」
の名で出ている。また、俳優の故・渥美清氏
ゆかりの神社。渥美氏がまだ無名だった頃
「タバコを一生吸いませんので仕事をください」
と願掛けをしたら、その直後に映画『男はつら
いよ』の主役に抜擢された。以後渥美氏は死ぬ
までタバコを吸わなかったことで知られている。

境内にミニ富士山がある。毎年富士山の山開き
に合わせて、2日間だけ一般に開放される。
「富士塚」は富士山から運んできた溶岩で作ら
れた清浄な富士塚です。(写真は庚申塚 )

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切妻茅葺山門

妙榮山妙好寺、日蓮宗。市川市妙典
妙好寺は千葉氏千田の子孫で、当時小田原北條家に仕えていた篠田
雅楽助清久が、中山法華経寺から十一世日典上人の法孫、一乗阿闍梨
日宣法印を迎えて1565年に建てたお寺です。
篠田雅楽助清久は1564年の国府台合戦の際に、千葉氏と共に北條氏に
味方をした恩賞として、この地、妙典を与えられ、開墾をした。

この山門は妙好寺十二世観樹院日秀聖人により、宝暦十二年(1761)
に造立されたものです。

茅葺の四脚門で、大部分が欅材で構成され全体に弁柄塗が施されて
いる。江戸時代後期の特色を示し、市川市内では茅葺の門は少なく
建立時代が判明している建物としては貴重で、昭和(1968)二月二十
七日に市川市有形文化財に指定されています。
平成八年六月から平成九年三月まで、二年にわたる山門の修理が行
われました。

宗吾霊堂

鳴鐘山東勝寺宗吾霊堂、真言宗豊山派の寺院。
木内惣五郎というのが実名。
父の木内源左衛門は千葉重胤の家臣で、小田原
の合戦で北条方の一翼として、湯本口を守って
豊臣秀吉の軍勢と戦い、その武勇を謳われた。
北条氏が滅亡したのち、主君の重胤が流浪の
果てに生涯を閉じたことを深く悲しみ、武士
を捨てて、下総国印旛郡公津村に住みつき、
農民となった。惣五郎は父源左衛門の長男。

佐倉藩十五万石の国家老は冥加金を徴取し
年貢米へ一割二分の増税を実施したほかに
寺社税・人頭税・労働税・営業税・家屋税
・出産入籍税・祝儀税・絹物税・牛馬税・
天秤棒税・鋤鍬税・野菜税・味噌税・醤油
税など、二十九種に亘る不当な重税を課した。

徳川四代将軍家綱の近くに訴状を差出、保科
正之の手に納められた。
面目を失した堀田正信は、苛責なく厳罰に処せ
と命じた。

惣五郎は磔に、子孫を根絶やしにするための
魂胆で長男彦七を除く三人はいずれも女子で
幼い子供を見るのも無残な打首がおこなわれ
公津ヶ原刑場の露と消えた。

堀田家歴代の主は毎年八月三日の惣五郎の
命日に祭典を行い、宝暦二年の百回忌には
涼風道閑居士の法号を贈り、寛政三年の百
五十回忌には、徳満院の三字を加えた石碑
を寄進して、その冥福を祈った。
義民佐倉宗吾の名は、後世に語り継がれて
いる。

六十六部造立石造閻魔王坐像及び両脇

東京都台東区の長久院にある像。真言宗豊山派。
この石仏は、中央に閻魔王像、右左にそれぞれ司命、司録像
を配しています。閻魔王は死者の生前の行いに応じて死後の
行き先を決めるという冥界の王で、司命は閻魔王の判決を言
渡し、司録は判決内容を記録する従者でるとされています。
台座に刻まれた銘文によると、この三躰は六十六部聖(六部
聖ともいう)の光誉円心という人物が享保11年(1726)に造
立したものです。
六十六部聖とは「法華経」を六十六部書写し、全国六十六箇
所の霊場に一部ずつ奉納した聖のことをいいます。
都内に現存する六十六部聖が造立した石仏を調べてみると、
地蔵菩薩像が圧倒的に多く、閻魔王像は極めて稀であること
が分かります。本像は六部聖が江戸時代の谷中でも活動して
いたことを裏付けるとともに、希少な石仏として貴重な文化
財の一つです。
この六十六部造立石造閻魔王坐像及び両脇侍像は平成9年に台東
区有形文化財に登載されました。(台東区教育委員会掲示より)

ああ上野駅

上野駅は人々の郷愁をさそう場所である。
啄木も「ふるさとの訛りなつかし 停車場の人混
みの中に そを聴きにゆく」と詠んでいる。
集団就職」や「出稼ぎ」の象徴の駅。
井沢八郎さんの代表作「ああ上野駅」が世に出た
のが昭和39年。多くの人に愛されて続け、心の励
みとなり又人生の応援歌にもなっていた。
、「ああ上野駅」の歌碑が駅の一角に建立されている。

ああ上野駅

作詞 関口義明
作曲 荒井英一
 唄  井沢八郎  
どこかに故郷の 香りをのせて
入る列車の なつかしさ
上野は俺らの 心の駅だ
くじけちゃならない 人生が
あの日ここから 始まった

就職列車に ゆられて着いた
遠いあの夜を 思いだす
上野は俺らの 心の駅だ
配達帰りの 自転車を
とめて聞いてる 国なまり

ホームの時計を 見つめていたら
母の笑顔に なってきた
上野は俺らの 心の駅だ
お店の仕事は 辛いけど
胸にゃでっかい 夢がある

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