切妻茅葺山門
妙榮山妙好寺、日蓮宗。市川市妙典
妙好寺は千葉氏千田の子孫で、当時小田原北條家に仕えていた篠田
雅楽助清久が、中山法華経寺から十一世日典上人の法孫、一乗阿闍梨
日宣法印を迎えて1565年に建てたお寺です。
篠田雅楽助清久は1564年の国府台合戦の際に、千葉氏と共に北條氏に
味方をした恩賞として、この地、妙典を与えられ、開墾をした。
この山門は妙好寺十二世観樹院日秀聖人により、宝暦十二年(1761)
に造立されたものです。
茅葺の四脚門で、大部分が欅材で構成され全体に弁柄塗が施されて
いる。江戸時代後期の特色を示し、市川市内では茅葺の門は少なく
建立時代が判明している建物としては貴重で、昭和(1968)二月二十
七日に市川市有形文化財に指定されています。
平成八年六月から平成九年三月まで、二年にわたる山門の修理が行
われました。

妙好寺は千葉氏千田の子孫で、当時小田原北條家に仕えていた篠田
雅楽助清久が、中山法華経寺から十一世日典上人の法孫、一乗阿闍梨
日宣法印を迎えて1565年に建てたお寺です。
篠田雅楽助清久は1564年の国府台合戦の際に、千葉氏と共に北條氏に
味方をした恩賞として、この地、妙典を与えられ、開墾をした。
この山門は妙好寺十二世観樹院日秀聖人により、宝暦十二年(1761)
に造立されたものです。
茅葺の四脚門で、大部分が欅材で構成され全体に弁柄塗が施されて
いる。江戸時代後期の特色を示し、市川市内では茅葺の門は少なく
建立時代が判明している建物としては貴重で、昭和(1968)二月二十
七日に市川市有形文化財に指定されています。
平成八年六月から平成九年三月まで、二年にわたる山門の修理が行
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